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社会福祉士/コーアクティブ・コーチ 伊東祐子

  • Posted by: tetsuo.kato
  • 2009年7月 3日 16:00

何故、彼女が面白いのか?

彼女の問題意識は「子どもの虐待防止」だ。

それが多くの人々に意味があるということだけではなく、彼女をきっかけとして人が何かを乗り越え成長すること、が面白いと僕は思っている。だとすれば、万人が変革を迫られる時代において、彼女の在り方は多くの人々にとって意味があるものではないだろうか。

彼女は児童福祉の道を志し、虐待の現場に関わるようになる。しかし、彼女は虐待の「対策」をすることに違和感を感じた。「前もって防ぐべき」問題にもかかわらず、「起こってしまった」虐待に対処するだけだからだ。

その後、彼女は「コーアクティブ・コーチング」に出会い、児童虐待の「予防」に取り組みだす。今、彼女が何を考え、何をやろうとしているのか?

こどもの虐待は予防できないのか?

彼女がよく話していたのは「虐待は連鎖する」という事だ。

もちろん、個人の力でそういった悪循環を乗り越えることも多々ある。だが、虐待の経験者は自分が受けてきた行為を「仕方のないこと」もしくは、「しつけ」の一種だとして解釈することが多いというのだ。たとえ、それが暴力行為だったとしても「しつけ」として解釈すれば、親の愛情の存在を肯定できるからだ。

だけれども、「虐待の犯人捜しには意味がない」と彼女は強く語る。「例えば、虐待をしてしまった親がいる。その原因は、彼の育ってきた家庭環境にあったりする。その家庭環境の原因まで突き詰めると、戦場から帰ってきた兵隊のトラウマ的な体験が原因だったりする。じゃあ、戦争が悪かったのか?だとしたら、何が解決するのか?」と言うのだ。

彼女は、既に起こってしまった虐待への対策ではなく、今すでに親として関わっている人達やこれから親になる人達が「抱えてしまったもの」を何とかできないかと思い、行動を始めた。

「向き合いたい」と思った瞬間に支援ができるようにしたい

社会福祉士としてこどもの虐待の現場に関わってきた彼女はあることに限界を感じる。それは「被害を受けてしまった人」の「対処」しかできないことだ。

しかし、そもそも虐待の兆候すら見つけることが困難であるにもかかわらず、彼女はどうやって虐待を予防するというのだろうか?

実は、彼女が現場で向き合ってきた加害者の心理を洞察する中で直感したことがある。それは、ある人間の精神構造の中で「与えられたモノサシ」が「内なる子ども」を抑圧した結果、内なる子どもにそうするのと同じように親が子を虐待するという現象につながるのではないかということだ。

例えば、彼女自身も「内なる子ども」を閉じ込めていた。彼女は「与えられたモノサシ」が優位な時は、お金がないから、時間がないから、と理由をつけて行動を制限していた。今は、やりたいならやってみればと素直に内なる子どもを尊重できるようになり、自分の思いのゆらぎみたいなものが消えた」。

多くの虐待の当事者と向き合う中で、彼女が「与えられたモノサシ」に影響され自分自身の行動を制約したように、当事者達の「与えられたモノサシ」が「親が子を愛する」という自然な行為を妨げたのではないかと確信するようになった。

そして、「内なる子ども」を解放する手段として、彼女はコーアクティブ・コーチングを選択肢に加えた。彼女は言う、「虐待が起こってからではなく、自分が『向き合いたい』と思った瞬間に、支援ができるようにしたい。コーチングを通じて、家族や自分が育ってきた中で抱えてきたものを下ろす手伝いをしたい」と。

抱えきれない荷物を抱える人々

例えば、彼女が扱ってきたケースの中で「抱えきれない荷物を抱えている」当事者に出会ったという。彼女が向き合ったのは「妻が精神障害、夫が要職で多忙、子どもが虐待されている」家族だった。彼女は夫側への支援を始めた。

彼女は夫に対し「荷物をたくさん持って頑張ってますね」と声を掛けながら、家族関係の中での課題や苦悩、彼が生まれ育った家庭や社会の中で自身を縛ってきた価値観、そういったものを一緒に眺めていく時間を取る。そうすると当事者が「持っている物、捨てるもの、持ち続けたいもの」が段々と見えてくるのだという。

結果として、夫は初めて「自分が辛いのだ」ということを認めることができた。そして、誰かが変わらない限り、何も変わらないという現状を認めるようになった。そこから、夫は誰かが変わるのを待つのではなく、自分のできることに目を向けることができた。

彼女はこう語る。「生まれた瞬間からどうしようもない人間なんていない。誰も責める対象でないし、私にそんなことができる権利もない。その人自身が生きる中で受けてきたことがそうさせているだけ。それを受け入れてもらえないまま、犯人扱いされてしまうのはおかしい」

支援者としてゆるがない自分

支援する自分自身がどうあるか、それがどう支援するかよりも重要だ。支援する側とされる側の間で「この人と話をしたい」と思う信頼関係を築かないといけない。「この人に頼めばなんとかなる」という依存関係からでは、虐待の悪循環からは抜け出せない。この繊細な駆け引きを乗り越え、彼等の現状を共有しながら、「自分でなんとかしなければならない」と思ってもらうことが重要だ。彼女はそう語った。さらに、彼女は「あえて助けない」ことも含めて、「支援者としてゆるがない自分」を持ちたいと語る。

僕からすれば、彼女は人並み外れた「揺るがなさ」を持っているように感じるのだけれど、それがいったい何によって得れたものなのかずっと疑問に思っていた。

実は、彼女は高校時代にアジアの最貧国の一つバングラディッシュに滞在した経験があった。その経験が彼女の支援者としての姿勢に決定的な影響を及ぼしていた。そこで、何人かの「体の一部を失った物乞い」に出会ったと言う。当時の彼女は「自分のなけなしのお金で彼等の日々が少しでも変わるなら」、彼等に自分のお金を渡すこともいいのではないかと思った。

しかし、彼女はそこで出会ったある日本人にその行為をたしなめられる。その日本人は「先進国の人間が安易に同情し、その場限りの偽善的優しさでお金をあげる結果として、他人を誘拐し、物乞いの道具として五体を切り落とす人が増えた」ということを彼女に教えてくれた。

この経験は「自分のささいな行為」が「世界にどれだけ影響与えるか」を彼女に刻み込んだ。彼女はそこから「支援者として揺るがない自分」の在り方を考え出す。

追記:最も親しい友人の一人として

彼女は僕と一番近しい友人であり、一方で僕と距離のあるフィールドを歩む友人の一人だ。僕自身も企業や経営者を支援するという立ち位置で仕事をしているのだけれど、彼女から学ぶことは多い。

例えば、彼女の「どんなふうに育って、何を抱えて生きてきたのか」を洞察する能力には驚くばかりだ。僕自身も「人と人をつなげる」仕事をしているのだけれど、現時点の判断はできても、彼女のような立体的な洞察には及ばない。

阿部は小説や映画、言うなれば「芸術言葉」のような言葉を使い、黎明とした感覚を僕に残した。伊東は「対面言葉」を使い、僕の聴覚や視覚を占有する。日々、彼女が使う「対面言葉」は柔らかく、でも大胆に突き刺さる言葉だ。時間をかけて反芻しなければ、乗り越えれない。
子どものように振る舞いながら、彼女は直感したことを素直に我々に投げかけてくる。

伊東祐子プロフィール

伊東祐子 (いとうゆうこ) 社会福祉士/コーアクティブ・コーチ

高校生の時に発展途上国における子どもの現状を目の当たりにしたこと、また海外留学や国際色豊かな大学生活で多種多様な価値観と向き合う経験をしたことから、「子ども」や「多様性」という視点から社会問題について考えるようになる。

大学卒業後、保育園勤務を経て2006年社会福祉士国家資格取得。同年より、新宿区立子ども家庭支援センターにて子どもと家庭の総合相談に取り組む。子ども虐待、DV、生活困窮、発達障害など様々な問題を持つ家庭と向き合う中、「内なる子ども」を解放する手段として、コーアクティブ・コーチングを選択肢に加える。

2008年11月コーチング国際養成機関CTIジャパンにて応用コース終了。現在は当事者の中で「与えれたモノサシ」による「内なる子ども」の抑圧が起きること、また、そこから生じる様々な問題の解決をテーマに活動。「生まれた瞬間からどうしようもない人間なんていない」という姿勢でクライアントと向き合い、人が真に自分の可能性と向き合える機会を創造するコーチングを行っている。

伊東の素顔

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